真我で見るの意味

真我とは「垂直方向」から全てを見ている者だとも言える

前回の記事の続編ということもあり話の進行上、前回の記事の一部を以下に抜粋させていただきます。

外的なもの内的なものに関わらず、私たちがその存在を認識しているもの全てを仮に ...

真我で見るの意味

真我・フィーリングなき知覚者

「真我は見る者である」という悟者の物言いが「真我は感じる者である」という風に意訳(誤訳)されやすい原因の一つは、日本語の「感じる」という言葉には「見る」という意味合いもあることだと思います。もしかしたら他国 ...

当方の真我観・悟り観

真我でモノを見ている状態は心で掌握しようとすると失われる

前回の記事を読んでおられる方は既にお分かりのことと思いますが、真我でモノを見ている状態がどういうものなのか、言い換えれば「思考も感性(感じること)も介在させずにモノを知覚している ...

ブログ運営

二種類ある悟りや真我に関する話

悟りや真我に関する話というのは、次のような二分の仕方もできます。

A・すでに広く浸透しているもの。多くの人に受け入れられやすいもの。

B・まだ広く浸透していないもの。多くの人には受 ...

当方の真我観・悟り観, 真我で見るの意味

今回の話は「真我で見る」の意味というよりは「真我で真我を見る」の意味に関する内容になっています。タイトルとはいくらかズレのある内容ですが、そこのところよろしくお願いします。

悟りの一つ前の段階

悟りの定義の仕方の一つは「真我 ...

当方の真我観・悟り観, 真我で見るの意味

真我という名の知覚=永遠の未知

真我という名の知覚(気づき)が、私たちから見て特殊なものであると言える理由は少なくとも二つはあります。その一つ目は、それが「感じること(一般的な意味における感じること・誰もが知って

当方の真我観・悟り観

真我、それはこの世界の全てが消え失せてもなお残る何か

“「悟りシーン」のブルーオーシャン”とその続編を読まれた方であれば、ここで何の説明もなしに次のようなことを申し上げても、違和感なく受け止められるのではないでしょうか。

目 ...

当方の真我観・悟り観, 真我で見るの意味

真我と同一視されやすい「スクリーン上の映像」たち

前回お話ししたことのおさらいになりますが、私たちがその存在を指し示したり思い描いたりすることのできるもの、あるいは私たちにとっての対象物、これを仮にスクリーン上の映像だとしますと、真我( ...

当方の真我観・悟り観

多くの人が真我だと思っているもの=実は真我に見られているもの

私たちがその存在を認めることのできるものたち、ニサルガダッタ・マハラジ風に言うなら「私たちが指し示すことのできるものたち」を仮にスクリーン上の映像になぞらえるとしたら、 ...

掲示板投稿

以下は、『すぴともけいじばん』という悟り(スピリチュアル)系掲示板に2018/11/18(日)から11/25(日)までの間に、私が投稿した文章です。部分的に添削・修整がほどこされています。

悟り系トーク・2018/11