当方の真我観・悟り観, 真我で見るの意味

 

同じ言葉が常に同じ意味を持つとは限らない

言葉というやつにはややこしいところがありまして、同じ言葉でも使用する人によって意味合いが違っていることがあります。それどころか場合によっては、一人の人間が一つのフレーズ ...

当方の真我観・悟り観, 真我で見るの意味

真我と同一視されやすい「スクリーン上の映像」たち

前回お話ししたことのおさらいになりますが、私たちがその存在を指し示したり思い描いたりすることのできるもの、あるいは私たちにとっての対象物、これを仮にスクリーン上の映像だとしますと、真我( ...

当方の真我観・悟り観, 真我で見るの意味

全空間大の真我という名の眼

真我という名の眼、という呼び名は、真我の見る働きを強調したい時私が用いる真我の別名の一つです。『真我・垂直の次元の意識〈前編〉 』をお読みの方は既に分かっておられますように、その真我という名の眼は大きさが全空 ...

当方の真我観・悟り観, 真我で見るの意味

真我は見る者である

真我は見る者である、というフレーズは悟り系発信者である私の決まり文句の一つです。ここに言う「見る者」という言葉が時と場合によって例えば、「見る意識」「目撃者」「目」「知覚者」「観照者(観察者)」「気づく者」「気づきの ...

当方の真我観・悟り観, 真我で見るの意味

まずはじめにお断りしておきますが、これから前編・中編・後編に分けてお届けする記事たちは、他のブログなどで公開済みのいくつかの記事の抜粋を寄せ集め、ツギハギして作成したものです。まあ、ある意味、手抜きをしちゃってるとも言えますね。