当方の真我観・悟り観

私に起こることは全て悟りではない

以前私はどこかで、悟りというものに関してこういうことを申し上げたことがあるはずです。「体験に分類されるものは何であれ一つの例外もなく悟りに該当しない」。とはいえ説明の便宜上悟りのことを体験と表現すること ...

当方の真我観・悟り観

真我の持つ側面たち

「過去断ちの法」に関する連載記事の最終回を数日前に書き終えたところですが、その連載記事の終わりの方でもお話ししましたように、 真我の持つ側面には次のようなものがあります。ちなみに⑦に関しましては言い回しを変えてあるこ ...

真我で見るの意味

真我とは「垂直方向」から全てを見ている者だとも言える

前回の記事の続編ということもあり話の進行上、前回の記事の一部を以下に抜粋させていただきます。

外的なもの内的なものに関わらず、私たちがその存在を認識しているもの全てを仮に ...

真我で見るの意味

真我・フィーリングなき知覚者

「真我は見る者である」という悟者の物言いが「真我は感じる者である」という風に意訳(誤訳)されやすい原因の一つは、日本語の「感じる」という言葉には「見る」という意味合いもあることだと思います。もしかしたら他国 ...

当方の真我観・悟り観

真我でモノを見ている状態は心で掌握しようとすると失われる

前回の記事を読んでおられる方は既にお分かりのことと思いますが、真我でモノを見ている状態がどういうものなのか、言い換えれば「思考も感性(感じること)も介在させずにモノを知覚している ...

当方の真我観・悟り観

真我を対象化できない理由

真我を対象化することはできません。その意味は、「真我とはこれのことか!」とか「これが真我か!」といった具合に、真我の何たるかを心で掌握することはできないということです。

もっと踏み込んで言うなら、そ ...

真我で見るの意味

真我の覚醒を求めている方に取り組んでほしいクエスチョン

私とは誰か? これはご存じの方はご存じのように、あのインドの覚醒者ラマナ・マハリシが世の求道者らに投げかけたクエスチョンであり、真摯に取り組めば真我の覚醒(悟り)が促されるものとし ...

当方の真我観・悟り観, 真我で見るの意味

この記事は前回の記事の補足という意味合いを持っています。前回の記事を書き終わった後アドリブでとっさに思いついたことを記事にしたものなので、これまでの流れから少し外れた内容になっておりますが、最終回ということでそこは大目に見てください。 ...

当方の真我観・悟り観, 真我で見るの意味

今回の話は「真我で見る」の意味というよりは「真我で真我を見る」の意味に関する内容になっています。タイトルとはいくらかズレのある内容ですが、そこのところよろしくお願いします。

悟りの一つ前の段階

悟りの定義の仕方の一つは「真我 ...

当方の真我観・悟り観, 真我で見るの意味

あるがままのありつぶれ

皆さんは次のフレーズをご存じでしょうか。

あるがままのありつぶれ

これをご存じの方は禅の文献に詳しい方とお見受けいたします。私が大昔、禅関係の本をあれこれアトランダムに読んでいた頃ごく稀に ...