瞑想系身体動作法(17)「過去断ちの法」Ⅴ

真我と心の一番深い層が同一視されやすいのは何故?

前回申し上げましたように、宇宙の根源領域と繋がっていると見られる心の一番深い層といえども真我には該当しないのですが、悟り系メッゼンジャーの中にさえ心の一番深い層と真我を同一視する人が非常に多いのは、両者がある意味においてお仲間だからだと思います。

どんな意味において両者はお仲間なのかといいますと、どちらも個としての私(顕在意識)を超えたものであるという意味においてお仲間なのです。それは例えば、私たち日本人から見て外国人と宇宙人とでは全然別物であるにも関わらず、どちらも日本人ではないという意味ではお仲間であるというのと同じようなもの。

しかし両者が別物であることは、一番深い層までも含めた心、すなわち最も広い意味における心を脇に置かねば真我は顕在化(発現)しないという事実からもハッキリしています。

真我の持つ側面のどれか一つを体現すると心は脇に置かれる

さてそれでは本題に入りますが、前述のように心を脇に置かねば真我は顕在化しないということになりますと、世の求道者らの関心事の一つは「では心を脇に置くためにはどうすればいいのか?」というものになろうかと思います。が、心を脇に置くための手立ては一つだけではありません。

どれぐらいあるのかと申しますと、理論的には少なくとも真我が持つ側面の数だけはあると言えます。なぜなら私たちにとって、真我の持つ側面の中のどれか一つを体現することと心を脇に置くこととはイコールであり、両者がイコールだということは言い換えれば、真我の持つ側面の中のどれか一つを体現することはそのまま心を脇に置くための手立てたり得るということでもあるからです。

これからもお分かりのように、真我には様々な側面があるとはいえ、その全てではなく、その中のどれか一つを体現することができれば私たちは結果的に、心を脇に置くこともできるというわけです。

二つに細分化できる真我の「今に在るという側面」

例えば真我の持つ側面の一つは「今に在るという側面」ですが、その「今に在るという側面」を体現することによって、もっと端的に申せば「今に在ること」によって、私たちは結果的に心を脇に置くことができます。ここでは、「今に在ること」もしくは真我の持つ「今に在るという側面」の体現が心を脇に置くための手立てとなっているわけです。

ところで、真我の持つ様々な側面の中でもこの「今に在るという側面」の面白い点は、「未来を見ないという側面」と「過去を見ないという側面」の二つに細分化できることです。これはもちろん「今に在る」が、「未来を見ない」と「過去を見ない」の二つの要素から成り立っているところから来ています。

で、「今に在るという側面」から細分化されたこれら二つの側面は興味深いことに表裏一体の関係にあり、私たちがどちらか一方を体現できると自動的にもう一方も体現できてしまうことになります。

つまり私たちが、「未来を見ないという側面」を体現できると自動的に「過去を見ないという側面」も体現できてしまうことになり逆に、「過去を見ないという側面」を体現できると自動的に「未来を見ないという側面」も体現できてしまうことになる、という次第。

別の角度から申せば、私たちにとって、「未来を見ないという側面」か「過去を見ないという側面」のいずれかを体現することは結局のところ「今に在るという側面」を体現することとイコールになる、ということに他なりません。このロジック、お分かりいただけますよね。

従って私たちは、「未来を見ないという側面」か「過去を見ないという側面」のいずれかを体現することによっても、「今に在るという側面」を体現できた場合と同じように、心を脇に置くことができるのです。

言い換えるなら「今に在ること」が心を脇に置くための手立てたり得るのと同じように、「未来を見ないこと」や「過去を見ないこと」もまた心を脇に置くための手立てたり得る、ということ。

「過去断ちの法」で「心を脇に置いた中での身体動作」を実現できる理由

さて以上を踏まえて、ここであらためて思い出していただきたいのは「過去断ちの法」の具体的なやり方です。それは次のようなものでした。

既に終了し過去のものとなった身体動作を心で振り返らないようにしながら身体動作をする。

この「過去断ちの法」の具体的なやり方というのは、意味合いを考えますと次のように言い換えることもできないではありません。

真我の持つ「過去を見ないという側面」を体現しながら身体動作をする。

これをもっと分かりやすくしたら、こうなります。

「過去を見ないこと」に徹しながら身体動作をする。

このように、「過去断ちの法」は捉え方によっては「過去を見ないこと」に徹しながら身体動作をすることだとも言えるわけですが、先ほどの話からも明らかなようにこの「過去を見ないこと」というのは心を脇に置くための手立ての一つに他なりません。

だからこそ私たちは、「過去断ちの法」の実践によって「心を脇に置いた中での身体動作」を実現することができるというわけです。

「過去断ちの法」の直接的な狙いが「心を脇に置いた中での身体動作」の実現にあることは過去記事で述べた通りですが、私たちが「過去断ちの法」の実践によって「心を脇に置いた中での身体動作」を実現することができる理由は実はこれだったのです。

今回は、もう一つの真我発身体動作法である「方法無き方法」の実践によって「心を脇に置いた中での身体動作」を実現できる理由には触れませんでしたが、それに関する話は後でいたしましょう。

中島タローでした。

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