真我という名の知覚はある意味特別なものではない/感性無き知覚者 ⑤

2019-04-30

「真我という名の知覚」をめぐるあの会話の続き

前回は、覚醒者パパジと質問者の間で交わされた「真我という名の知覚」をめぐる会話の一部を紹介させていただきました。が、この会話には当然ながら続きがあります。以下はその続きの中からの抜粋です。

【質問者 】私は混乱しています。パパジ、あなたはこれについて、この変容の重要性について語ってきました。私にとって、それは何も特別なものには感じられません。

【パパジ】それでいいのだ。特別には感じられないということ自体が特別ではないかね?(笑)

引用元:『覚醒の炎 プンジャジの教え』 発行所/(株)ナチュラルスピリット 37~38ページから

覚えておられると思いますが、前回ご紹介した引用文の中でこの質問者は、ある特殊な知覚、つまり私の言う「真我という名の知覚」が自分に起こったことを明かしていました。そしてそれが、何が起こっているのか自分でもよく分からないものであるということにも言及していました。

が、ご覧のように、今回ご紹介した(上の)引用文の中では質問者は、自分にもたらされた前述のような変容に対して「私にとって、そ れは何も特別なものには感じられません。」という感想を述べています。

何が起こっているのか自分でも説明のつかないような特殊な知覚が自分に起こったというのに、質問者はそのことを特別なものとして受け止めてはいないんですね。これは一体どういうことなのでしょうか。それについて考えてみましょう。

「真我という名の知覚」の起こりが特別視されないのは何故か?

質問者が自分にもたらされた前述のような変容を特別なものとして受け止めなかった真意を、私の経験に基づき、質問者に成り代わって説明させていただきますと、次のようになります。

私に起こったあの知覚というのは確かに、何が起こっているのか自分でもよく分からないものという意味においても特殊ではあった。しかしその特殊な知覚によって今まで見えていなかった新しいものが見えるようになったのかというと、そういうわけでもない。

例えば、その特殊な知覚が私に起こる前、空は青く雲は白かった。そしてその特殊な知覚が私に起こった後、やはり空は青く雲は白かった。

今まで青かった空が黄色くなったということはないし、今まで白かった雲がピンクになったということもない。丸いものが四角になったり、四角いものが三角になったということもない。

だから私は、あの特殊な知覚の起こりを特別なものとして受け止めることはできないのだ。

ざっとこんな感じですが、これでくだんの質問者の気持ちをある程度までは代弁できたと思います。

まだある「真我という名の知覚」の起こりが特別視されない理由

とはいえ、「ある程度までは」ってことは「不十分ながら」ってことでもあるので補足しておきますが、ここに言う特殊な知覚すなわち「真我という名の知覚」というのは、それが起こったからといって、オーラのようなこの世界の不可視の領域に属するものが見えるようになるというものではないしまた、過去や未来が分かるようになるというものでもないんですね。

要するに、不思議なことは何もないわけです。あーつまらん。

さらに言葉を足しておきますと、「真我という名の知覚」が私に起こった時というのは、「今ここという最も自然で最も特別感のない場所」に私が連れ戻されます。

またその「真我という名の知覚」なるものは本当は昔から片時もそしてイチミリも私から離れることなく在り続けていたことが明らかになります。

こうしたことも、「真我という名の知覚」の起こりをくだんの質問者が特別なものとは受け止められなかった理由に含まれていると思います。

中島タローでした。

今回の記事が気に入られましたら
プチッと一押しお願いします。
↓↓↓