瞑想系身体動作法(11)「方法無き方法」Ⅶ

身体動作の最中に今に在り続けるという目的のためにも使えるこの技法

前回の記事を読まれた方はお分かりになると思いますが、「方法無き方法(方法無き身体動作法)」というのは「身体動作をしている時今に在り続けるための技法」という側面ももっています。言い換えれば、身体動作の最中に今に在り続ける、という目的のためにも使えるのが「方法無き方法」なのです。

既にご存じのようにこの技法はそもそもは、真我から身体動作を起こす技法、もしくは真我としてありながら身体動作を起こす技法、というコンセブトのもとに開発された技法です。が、真我としてあることと今に在ることとは同じコインの裏表といいますか、前者の中に後者が含まれ、後者の中に前者が含まれています。どちらにおいても心が脇に置かれている、という共通点があることからも、それがお分りいただけると思います。だから、冒頭で申し上げたことが成り立つわけです。

同じ目的のために今この瞬間にフォーカスしながら身体動作をするという手はアリか?

さて、「方法無き方法」は「身体動作の最中に今に在り続ける」という目的のためにも使える、なんて話をいたしますと、次のようなことを思われる向きもあるかも知れません。今この瞬間にフォーカスしながら身体動作をすることによっても、同じ目的を果たすことができるのではないか?

あの有名なエックハルト・トールの代表作『悟りをひらくと人生はシンブルで楽になる』という本の中に、“「いま、この瞬間」にフォーカスし人生の真ん中に据えるのです”という、今この瞬間にフォーカスしながら様々な事に当たることの大切さを説くくだりがあることなども手伝って、そういう質問をお持ちの方は少なくないかも知れません。

が、冷や水をかけるみたいで悪いのですが、それに対する私からの回答はnoになります。私の見解では、今この瞬間にフォーカスしながら身体動作をすることをもって、「身体動作の最中に今に在り続ける」という目的を果たすことはできないんですね。なぜなら、今この瞬間にフォーカスしながら身体動作をすることというのもまた、身体動作を先導するための一方法に他ならないからです。

身体動作の最中に今に在り続けるためには、「方法無き方法(方法無き身体動作法)」に徹する必要があります。すなわち、身体動作を先導するための方法を排することに徹する必要があります。が、ここに言う方法の中には「今この瞬間にフォーカスしながら身体動作をすること」も含まれている、というわけです。

今この瞬間にフォーカスしても今に在ることはできない

さて、こういう話が出たついでに、今この瞬間にフォーカスすることは今に在ることの役には立たない、という話もしておきましょう。今この瞬間にフォーカスすることは今に在ることの役には立たない、と言える理由を要約すると次のようになります。

私たちは本当の意味において今に在るためには、過去と未来だけでなく、今この瞬間というものにさえも意識の焦点を当ててはならないから。

言い換えれば、過去を忘れ未来を忘れ、今この瞬間というものさえも忘れてこそ、すなわち完全な無心状態になり得てこそ、私たちは本当の意味において今に在ることができる、だから今この瞬間にフォーカスすることは今に在ることのためには使えない、という話になるわけです。

今これを書いていてフト思い出した少林窟の井上老師という方の言葉があるので、最後にご紹介しておきましょう。

“「今」は「今」であって、「今」に留まっていないのが本当の「今」である。”

出所は分かりませんが、もう一つ思い出しました。

“今という今なる時は無かりけり、マの時が来ればイの時は無し。”

中島タローでした。

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