瞑想系身体動作法(8)「方法無き方法」Ⅳ

「方法無き方法」の応用範囲は広い

「方法無き方法」は基本的には身体動作法というカテゴリーに属する技法ですが、身体動作よりもっと広い意味合いを持つ仕事とか作業といったものへの従事法として応用的に用いることもできます。つまり「方法無き方法」というのは、狭く捉えると身体動作法の一つですが、広く捉えると身体動作も含めた様々な仕事や作業への従事法の一つたり得てもいる、ということですね。

なので皆さんへの希望として、身体動作に対して「方法無き方法」を用いることに慣れた暁(あかつき)にはぜひ、それよりもさらに広い意味合いを持つ仕事とか作業といったものに対しても「方法無き方法」を応用的に用いることができるようになってほしいのです。さらに理想を言わせていただくなら、最終的にはその応用範囲を生活することそのものにまで拡大していただけたら申し分ないのですが。

「方法無き方法」の応用範囲を広げることのメリット

「方法無き方法」には、「無心を保つことが超困難な動いたり働いたり何かに従事したりしている時、無心を保てるようになる技法」という側面がありますので、今申し上げたことができるようになるということはそれだけ、無心でいられる時間が長くなるということでもあります。もっと言えばそれは、「心的な時間が停止した状態(=永遠の今だけがある状態)」に長く留まっていられるようになる、ということでもまたあります。これを聞いて「そんなの嫌だ!」と思う方はいらっしゃらないはず。

でも、「方法無き方法」をモノにできそうにない私はどうすればいいの? という声はありそうですね。そういう方には「方法無き方法」と同じ効果を持ち、なおかつそれよりもはるかにモノにしやすい「過去断ちの法(後日取り上げる予定)」に賭けていただきたいと思います。

禅は一法も人に与えず、という物言い

話は変わりますが、悟りを本旨とする禅の特徴を言い表す物言いの一つに、次のようなものがあるのをご存じでしょうか。「禅は一法も人に与えず」。

「禅は一法も人に与えず」ですね。「方法無き方法」の何たるかを理解しておられる方の中には、これを読んで何かピンと来るものを感じた向きもあろうかと思いますが、これからその意味を考えてみましょう。

まずこの物言いに出てくる法という言葉についてですが、物言いの文脈を考えますとこの言葉は、仏道に生きる者が従うべき真理とか教法などを指していると言えます。で、そういう法を人に手渡すことを一切しないのが禅なんだ、ということをこの物言いは私たちに伝えているわけです。そういう法を人に手渡すのが禅の存在意義ではなかったのか? と言いたい人が世間には多そうですけれども。

この物言いの真意とは?

この物言いから私が感じるのは、「禅では法というものを人から人へと手渡すことができるような対象物とは見ていない。」というメッセージです。ここに言う対象物とは、対象として眺めたり、視野に入れたり、認識したり、その存在を指さししたりできる物のことですが、別の言い方をいたしますと、「禅が法と見ているものはそういうものではない。だからそれを人に手渡すことなどできないのだ。」といった含みを私はそこから感じます。

対象物ではないもの・対象化できないものをどうやって人に手渡せるというのだ、できるわけがないではないか! というわけですね。

もっと言えば、そうとも知らずに法を自分の手中のものにすべく禅修行にいそしんでおられる方々に冷や水をあびせる意味も、少しはそこに込められているようです。ついでながら、それと同じ意味を持つと思われる物言いとして「禅は労して効なし(禅に励んでも何の見返りもありませんぜ)」なんてのもありましたっけ。

この物言いの言外にあるものとは?

さて前述のような、法は対象物ではないがゆえに人に手渡すことは不可能である、といった見方は確かに正しいのですが、「方法無き方法」をこれからモノにしようとされている方は、その先にあるもう一つの真実も見落としてはいけません。

その先にあるもう一つの真実とは、次のようなものです。私たちは、法を手渡してもらうことはできなくても言い換えれば、法を所有することはできなくても、法を用いることはできる。そう、私たちは法を所有することはできなくても、動いたり働いたり生活したりすることの中で法を用いることはできるのです。どうやって? もちろん、法を所有しないことによって!!

それが可能なのは、私たちは法を所有してない時(対象物のように扱ってない時)だけ法と一つになり得ているという、法則があるからです。これ、「方法無き方法」を既にモノにされている方には、分からない話ではなかろうと思うのですが、いかがでしょうか。

実は、分かる人には分かるこの法則を言外に匂わせているところが、くだんの「禅は一法も人に与えず」というフレーズの妙味と言えば妙味なんですね。

中島タローでした。

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