瞑想系身体動作法(6)「方法無き方法」Ⅱ

あのクイズを再び

前回は記事の最後に次のようなクイズを出させていただきました。

「方法無き方法」によって真我発の身体動作が可能になるのはなぜか? もしくは、「方法無き方法」を用いるとどうして真我から身体動作を起こせるようになるのか?

今回はまず、これについて考えてみましょう。ここに言う「方法無き方法」が「 いかなる方法も先に立てずに身体動作をすること」を意味することは既にご存じの通りですが、これによって真我発の身体動作が可能になる理由を前出のクイズは問うているわけです。

クイズを解くヒント

前出のクイズを解くヒントは、前回もお話ししましたように、『瞑想系身体動作法の背景にあるもの』という記事に書かれていることの中にあります。その記事に書かれている、前出のクイズを解くヒントになる部分をまとめると次のようになります。

①心が脇に置かれているところには必ず真我の顕在化がある。結果として、心を脇に置いた中での身体動作は真我以外からは起こりようがない。

②それゆえ、真我から身体動作を起こすためには、そのこと自体を直接的に狙う必要はない。直接的に狙うべきは、心を脇に置いた中での身体動作である。それさえできれば真我発の身体動作は後から付いてくる。

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で、①と②から次の結論を引き出すことができます。「心を脇に置いて身体動作をすること」イコール「真我発の身体動作をすること」。そう、「心を脇に置いて身体動作をすること」と、「真我発の身体動作をすること」とはイコールなんですね。この事実が、前出のクイズの前提としてまずあるわけです。

クイズの答え

そこを押さえた上であらためて、前出のクイズを見てみましょう。前出のクイズで問われているのは分かりやすく申せば、「 いかなる方法も先に立てずに身体動作をすること」が「真我発の身体動作をすること」たり得る理由です。言い換えれば、「 いかなる方法も先に立てずに身体動作をすること」イコール「真我発の身体動作をすること」となる理由です。

いかがでしょうか。皆さんの中には、これまでの話を総合することで前出のクイズの答えが浮かび上がってきた方もおられるのではないでしょうか。いずれにしてもここで、これまでの話を踏まえながら、前出のクイズの答えを申しあげたいと思います。前出のクイズの答えは次のような三段論法的な形を取ります。

A・「心を脇に置いて身体動作をすること」と「真我発の身体動作をすること」はイコールである(クイズの前提)。

B・が、「いかなる方法も先に立てずに身体動作をすること」と「心を脇に置いて身体動作をすること」もイコールである(これまでの話から類推できるクイズを解く鍵)。

C・だから、「いかなる方法も先に立てずに身体動作をすること」と「真我発の身体動作をすること」もまたイコールになる(結論)。

クイズの答えの補足・Bの根拠

以上が前出のクイズに対する一応の答えです。が、これを見た皆さんの中に今いちスッキリしないものを感じた方がもしおられたとしたら察しますに、その原因は、Bとして述べられていることの中にあるはずです。

より詳細に申せば、Bとして述べられていることすなわち、「いかなる方法も先に立てずに身体動作をすること」と「心を脇に置いて身体動作をすること」もイコールである、という物言いの根拠が明らかにされていない点に、その原因があるはずです。

なのでこれから、上記の答えの補足として、その物言いの根拠を明らかにしたいと思います。その物言いの根拠、すなわち、「いかなる方法も先に立てずに身体動作をすること」イコール「心を脇に置いて身体動作をすること」と言える根拠ですが、それを一言で申せば、次のようになります。

・何らかの行為・行動(身体動作も含む)をしようとする際、よりかかることのできる何らかの方法が無いと存在を保てない、という性質が心にはあるから。

ここに言う「よりかかることのできる何らかの方法」はこう言い換えても構いません。「従うべき何らかの方法」「自分を先導してくれる何らかの方法」あるいは「手引きになる何らかの方法」。

またここに言う「存在を保てない」はこう言い換えることもできます。「そこに居られなくなる」「任務に当たれなくなる」あるいは「脇に退いてしまう」

さて前述のように、身体動作をはじめとする何らかの行為・行動をしようとする際、よりかかることのできる何らかの方法が無いと心は存在を保てないようにできているわけですが、これは裏を返せば次のことを意味してもいます。「その際」心が存在を保ち得ている場合は必ず、心がよりかかることのできる何らかの方法がそこにはある。

身体動作をはじめとする何らかの行為・行動をしようとする際、心が存在を保ち得ている場合は必ず、心がよりかかることのできる何らかの方法がそこにはあると言えるんですね。たとえあなたにその自覚がなかったとしてもです。ここに言う方法には自覚的なものばかりでなく無自覚的なものも含まれているのだということを、お忘れなく。

中島タローでした。

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