真我・垂直の次元の意識5〈真我観の比較編〉

2018-05-29

覚者に関する間違った思い込み

多くの人が覚者(正確には覚者と思われている人)に対して持っている間違った思い込みの一つは次のようなものだと思います。全ての覚者が真我と見なしているものは同じである。言い換えれば、すべての覚者の真我観、すなわち「真我とは何か?」という問いに対する答えはつきつめれば一つである、ということですね。

いかがでしょうか。そういう思い込みを皆さんもお持ちではありませんでしたか。もしそうなら、それは違いますよ、と私は申し上げたいのです。私の見解では、例えばここにAさんBさんという二人の覚者が居たとした場合、Aさんが真我と見なしているものとBさんが真我と見なしているものは違うこともあり得ます。

真我観の違いを知る一方法

AさんとBさんの真我観が違うのか違わないのかを知る最も直接的な方法は言うまでもなく、彼らが何をもって真我としているのかを調べることですが、それとは別に彼らの真我観が違うのか違わないのかを知る方法が、少なくとも後一つはあります。それは、彼らが真我の大きさをどれぐらいと見ているかを調べる、というものです。

例えばの話、Aさんは真我の大きさと空間の大きさは同じであると言っていて、Bさんは真我の大きさは空間の大きさを超えると言っているとしましょうか。そうした場合、少なくともAさんの真我観とBさんの真我観は違うということだけは分かりますよね。

もちろんそれだけでは、彼らの真我観の違いを詳細に知るところまでは行けません。が、彼らが真我と見なしているものは同じではないという、そのことだけは明確に分かるはずです。

これは例えば、ある二人の人間に最強だと思うプロレスラーの身長を聞いたとして、一人は209センチと答えもう一人は191センチと答えたとしたら、彼らが最強だと思っているプロレスラーは同一人物ではないという、そのことだけはハッキリするというのと同じ理屈です。

オショーとタデウス・ゴラス氏の真我観の相違

さて、真我の大きさと空間の大きさは同じであるという見解を持つ覚者の一人は「なまけ者のさとり方」という本の著者として知られるタデウス・ゴラス氏です。彼がそういう見解の持ち主であることは、彼の本を読めば明らかでしょう。

一方、真我の大きさは空間の大きさを超えるという見解を持つ覚者の一人はあのオショー(ラジニーシ)です。彼がそういう見解の持ち主であることは、「真我・垂直の次元の意識〈前編〉」で引用した彼の講話録の一部を読めば明らかだと思います。

今挙げた二人はどちらも覚者としては高名な部類ですが、以上のような次第で、それぞれの真我観は異なります。あの高名な覚者の二人でさえ、真我観には食い違いがあるんですね。「すべての覚者の真我観は同じであるはずだ。違うのは真我観の説明の仕方・表現方法だけであるはずだ」といった皆さんの固定観念を吹っ飛ばすには、この一例だけで足りると思います。

真我観が異なれば悟り観も異なる

で、真我観が異なるということは悟り観すなわち「何をもって悟りとするか」ということもまた異なるということに他なりません。真我観と悟り観は密接に結びついているからです。

ちなみにタデウス・ゴラス氏の悟りの定義は「私たちは無限の存在であり、宇宙全体が生命を持っているということを知ること」というものであり、オショーの悟りの定義は「気づき(真我の別名としての気づき)が気づきそれ自体に気づくこと」というものです。どうです、やっぱり異なるでしょ(私はオショー派ですが)。

そうなりますと、悟りへの途上にある方は一体どの覚者の言うことを信じて付いて行けばよいのか分からなくなると思いますが、前にもどこかでお話ししましたように、そういったことは最終的には一人ひとりが自己責任で決めるしかないわけです。こういう厳しい物言いしかできないのは辛いものがありますね。

中島タローでした。

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