テキスト版/瞑想系キレキレ身体動作法《本編》1/2

2019-07-09

※当記事はYOUTUBE動画【瞑想系キレキレ身体動作法《本編》 】で使用されたナレーションテキストを記事化したものです。記事化に当たっては、部分的な修整をおこない、要所要所に見出しを追加させていただきました。

※動画の中に出てくる字幕は、ここでは再現いたしません。

 

「過去断ちの法」のやり方

今回は、「瞑想系キレキレ身体動作法《本編》」と題して、真我発身体動作法「過去断ちの法」および、潜在意識発身体動作法「瞬過去ふりかえり法」の二つに焦点を当てながら話を進めてまいりたいと思います。

一つ前の《プロローグ編》では、前出の二法そのものではなく、前出の二法を使った呼吸の仕方に関するお話になりましたが、ここでは前出の二法そのものに関する直接的な話しをさせていただきます。

さて、それではまず、「過去断ちの法」の話からまいりましょう。

「過去断ちの法」とは《プロローグ編》でも申し上げましたように、真我から身体動作を起こすための技法、もしくは真我発の身体動作を実現するための技法に他なりません。その「過去断ちの法」のやりかたを一言で言い表すと、次のようになります。

既に終了し、過去のものとなった身体動作を、心で振り返らないようにしながら身体動作をする。

この、「既に終了し、過去のものとなった身体動作を、心で振り返らないようにしながら身体動作をする。」という、シンプルなやりかたを通して私たちは、真我から身体動作を起こせるようになるというわけです。ウソのような本当の話です。

が、ここに言う「過去」という言葉には補足が要ります。

それは、ここに言う「過去」という言葉は最も厳密な意味における過去を指している、ということです。 最も厳密な意味における過去、それは言い換えるなら、例えば百分の一秒前とか、千分の一秒前とか、あるいは万分の一秒前と、有るのか無いのか分からないような、私たちが普段は過去として意識しないような、そういう微かな過去までも含めた過去に他なりません。最も厳密な意味における過去というぐらいですからね。

そこを押さえた上で、あらためて「過去断ちの法」のやりかたに触れてみてください。

「既に終了し、、過去のものとなった身体動作を、心で振り返らないようにしながら身体動作をする。」

いかがでしょうか?。最初にこれをお聞きになった時よりも少しは気持ちが引き締まる感じがしたのではないでしょうか?

この「過去断ちの法」というのは今の話からもお分かりのように、例えば百分の一秒前とか、千分の一秒前とか、あるいは万分の一秒前とかの自分の身体動作さえも心で振り返ってはならないという、厳しい条件の中で身体動作をする、ということでもあるわけですから。

が、そうと分かったからといって、皆さんどうか尻込みしないでくださいね。それというのは、一見ものすごくむずかしそうに見えて、実際にやってみると案外簡単にできてしまうものだからです。

この技法の直接的な効果は心の関与がない身体動作の実現

で、次の話になりますが、そんな「過去断ちの法」が正しく実践されたらどうなるかといいますと、一般的な常識では考えられないような珍しいことが実践者に起こります。何だと思われますか? それは、心が関与しない身体動作の実現、もしくは心の関与がない身体動作の実現です。

心の関与がない身体動作の、どこが珍しいの? ですって?

ナンとおっしゃるウサギさん! そんなことをおっしゃるあなたはどうやら、ここに言う心というものを思考の出どころである顕在意識のことと受け止めておられるようですね。が、補足させてもらいますけれども、ここに言う心とは、感性の出どころである潜在意識までも含めたもっとも広い意味における心のことなのです。どうだ、参ったか?

それが分かれば、ここに言う「心の関与がない身体動作」が実現するということの珍しさに思い至るに違いありません。だって普通、私たちが身体動作をしている時というのは、その身体動作に心が関与してないことなんて一瞬たりともないはずですから。要するに、私たちの身体動作というものは常に心によってなされるようになっている、ということですね。

しかし繰り返しになりますが、「過去断ちの法」が正しく実践された時にはその絶対ないはずの、心の関与がない身体動作が実現されてしまうんですね。

このことからもお察しいただけるかと思いますが、「過去断ちの法」の直接的な効果というのは実は、心の関与がない身体動作が実現されることにあります。心の関与がない身体動作の実現、これが「過去断ちの法」の直接的な効果なのです。

心の関与がない身体動作=真我発の身体動作と言える理由

が、こう申し上げると、「過去断ちの法」の目的が真我発の身体動作を実現することにあることを既に知っておられる皆さんはきっと、次のように思われることでしょう。

では、その心の関与がない身体動作の実現が、どうして、結果的に真我発の身体動作の実現に結びつくのか?

このクエスチョンを解くカギは、次の事実にあります。

真我発の身体動作の実現を妨げている唯一のものは心である。言い換えれば、私たちから見て、真我から身体動作を起こすことをできなくさせている唯一の原因は心の存在であり、それ以外に原因はないということですね。心さえなければ、真我発の身体動作の実現を妨げるものなんてないわけです。

もっと言うなら、私たちが身体動作をしている時であれ、していない時であれ、真我のお出ましを妨げるものは心以外にはないのです。そういう意味での分かりやすさが、真我にはあるんですね。これは次元こそ違いますが、潜在意識のお出ましを妨げるものは常に顕在意識以外にはないという話と共通するものがあると言えます。

それゆえ、心の関与がない身体動作の実現は結果として真我発の身体動作の実現に結びつかざるを得ない、というわけです。その真我って何? と思われたかたは取り合えず、ここに言う真我を体でも心でもない、第三の何か、という風に受け止めておいてくだされば結構です。

真我に起こる「動きの企て」=想念という形を取る前の「動きの企て」

こういう話をしますと、皆さんの頭の中には、もう一つのクエスチョンが渦巻いているに違いありません。そのクエスチョンを私がここで皆さんに成り代わって代弁してみたいと思います。それはきっと次のようなものであるはずです。

真我と心が別物なのだとしたら、真我は想念を持つことができないはずである。心以外のところから想念が出てくることはないのだから。

そうすると真我は体をあんな風に動かそう、こんな風に動かそう、といった「動きの企て」を持つこともまたできないはずである。

「動きの企て」というものは常に想念という形をとり、想念という形を取らない「動きの企て」なんてものはないのだから。

そんな真我からどうして、身体動作が起こり得るだろうか?

どうでしょうか? 言葉は違っていても以上のような主旨のクエスチョンを、意識的にせよ無意識的にせよ、ほとんどのかたが持っておられるのではないか、と私は踏んでいるのですけれども。いずれにしても、それに対する私からの回答は次のようなものになります。

まず押さえておきたいのですが、体をあんな風に動かそう、こんな風に動かそう、といった「動きの企て」というのは何も、想念という形を取ったものばかりではない、ということです。

想念という形を取らない「動きの企て」、より正確には、想念という形を取る前の「動きの企て」、というものも、実は存在するんですね。例えば、水に含まれている空気には、泡という形を取ったものばかりでなく、泡という形を取る前のものも存在するのと同じようにです。

で、この想念という形を取る前の、「動きの企て」こそは実は真我に生じる「動きの企て」に他なりません。だから、真我から起こる身体動作というものがあったとしてもおかしくはない、と言えるわけです。

とはいえ通常は、その真我に生じた「動きの企て」すなわち、想念という形を取る前の「動きの企て」というものは、ダイレクトに身体動作化されることはありません。通常、それが身体動作化されるのは想念という形を取った後なのです。

先ほども言いましたように、水に含まれている空気には泡という形を取る前のものもありますが、その種の空気も、ある時点で泡という形を取ることがあります。

ちょうどそんな感じで、真我の中の想念という形を取る前の「動きの企て」は、ある時点で想念という形を取るにいたります。そして通常は、その想念という形を取った「動きの企て」だけが、身体動作化されるようになっているんですね。これは、皆さんご自身の経験に照らしても、そう言えるはずです。

しかし私たちは、「過去断ちの法」を使うことによって、その想念という形を取る前の「動きの企て」を、いきなりというか、ダイレクトに身体動作化させることができねんですね。

そういう意味では、「過去断ちの法」というのは、真我に生じた想念という形を取る前の「動きの企て」を、ダイレクトに身体動作化させる技法だとも言えるわけです。やりかたがシンプルすぎるだけに、とてもそんな効果を秘めた技法には見えないだろうとは思いますけれども。

ちなみに、「過去断ちの法」を使うと、動きにまじりっけのないキレを出せるのは、今お話ししたことと関係しています。

ついでなので触れておきますが、後で取り上げる予定の、「瞬過去ふりかえり法」の場合は、想念という形を取った直後の「動きの企て」、もしくはそれに超近い「動きの企て」を、身体動作化させる技法と言うこともできます。

が、その想念という形を取った直後の「動きの企て」、もしくはそれに超近い「動きの企て」というのは、極めて微細です。想念の一つに思考というものがありますが、この思考という形を取った「動きの企て」が極めて粗野であるのとは対照的ですね。で、「瞬過去ふりかえり法」を使うと、動きにしなやかさが加味されたキレを出せるのは、そのことに関係しています。