当方の真我観・悟り観

全空間大の真我という名の眼

真我という名の眼、という呼び名は、真我の見る働きを強調したい時私が用いる真我の別名の一つです。『真我・垂直の次元の意識〈前編〉 』をお読みの方は既に分かっておられますように、その真我という名の眼は大きさが全空 ...

当方の真我観・悟り観

真我は見る者である

真我は見る者である、というフレーズは悟り系発信者である私の決まり文句の一つです。ここに言う「見る者」という言葉が時と場合によって例えば、「見る意識」「目撃者」「目」「知覚者」「観照者(観察者)」「気づく者」「気づきの ...

当方の真我観・悟り観

観るものだけが存在する

観る(見る)ものだけが存在する……皆さん、これ誰が言った言葉かお分りになりますか? 実はこれ、あの今は亡きオショーが言った言葉なのです。どの本のどのページに載っていたかはすっかり忘れてしまいましたが、この一つの言 ...

当方の真我観・悟り観

覚者に関する間違った思い込み

多くの人が覚者(正確には覚者と思われている人)に対して持っている間違った思い込みの一つは次のようなものだと思います。全ての覚者が真我と見なしているものは同じである。言い換えれば、すべての覚者の真我観、すなわ ...

当方の真我観・悟り観

今後公開予定の真我発身体動作法のこと

私の今後の予定としまして、この記事から三つばかり後の記事にて「ある身体動作系のメソッド」をご紹介させていただこうと思っております。「ある身体動作系のメソッド」というのは具体的には真我から身体動作を起 ...

当方の真我観・悟り観

これの一つ前の記事、すなわち『真我・垂直の次元の意識〈中編〉』の始めから四分の三ぐらいは、過去に他のブログで公開した記事を下敷きにしたものです。

その下敷きになった元記事の公開後、それを読まれた一人の読者から、ご質問をいた ...

当方の真我観・悟り観

平面状に広がっている私たちの眼に映る物たち

皆さんは気づいておられるでしょうか。私たちの眼に映る世界の像は平面状に広がっているという事実に。平面状に広がっている、とは分かりやすく言い換えるなら、写真のように広がっている、ということですね ...

当方の真我観・悟り観

 

まずはじめにお断りしておきますが、これから前編・中編・後編に分けてお届けする記事たちは、他のブログなどで公開済みのいくつかの記事の抜粋を寄せ集め、ツギハギして作成したものです。まあ、ある意味、手抜きをしちゃっ ...

覚者VS覚者

究極の領域と悟り

人間が最後の最後に到達できる「もうこの先はない」と言える領域、もしくはあらゆるものに先立って存在する領域、それのことを仮に「究極の領域」と呼ぶといたしますと、人が悟りに到った時「究極の領域」とおぼしきものの存在が頭や理 ...

当方の真我観・悟り観

 

自慢と取られては困るのですが、当方の真我観は現在の(あくまでも現在のね)悟りシーンの中ではかなり異端だと思います。ここに言う真我観とは、真我とは何か? という問いに対する答えのことです。その問いに対する答えが ...